「人生に意味なんてない」と気づいたら、少し楽になった話
こんにちは、アヲアヒルです。
今日はAIではなくて、少し重ための話をします。
でも、暗い話をしたいわけではありません。
むしろ逆で、
生きるのがちょっと楽になる話です。
「音声配信って意味あるのか」と思ったときに考えたこと
音声配信を続けていると、
ふと考えることがあります。
「これ、意味あるのかな」
というやつです。
でも、これは音声配信に限りませんよね。
発信もそうですし、
仕事もそうですし、
人付き合いもそうです。
もっといえば、
人生そのものに意味があるのか、
という話につながっていきます。
発信に反応がないと、「意味がない」と感じやすい
最近、Substackで 結城 さんの投稿を読みました。
発信しても反応がない。
がんばっても届いている感じがしない。
そうなると、
「自分の投稿には意味がないのでは」
と感じてしまうんですよね。
これは、発信している人ならかなり身に覚えがあるはずです。
でも、その投稿は最後に前を向いていました。
「それでもやっていく」
という空気があったんです。
そこを読んで、ぼくも考えました。
ああ、
そもそも「意味があるかどうか」を考えすぎなくていいのかもしれないな、と。
たぶん、人生に絶対的な意味はない
ここは少し乱暴に聞こえるかもしれません。
でも、ぼくはわりと本気でそう思っています。
人生に、最初から用意された絶対的な意味なんて、
たぶんありません。
ぼくらは生まれたから生きている。
そして死ぬまで生きる。
まずはそれだけです。
仕事も役割も制度もあります。
社会はちゃんと動いています。
でも、ものすごく大きな視点で見ると、
人間はみんな壮大な「ごっこ遊び」をしているだけ、
とも言えるんですよね。
だからといって、投げやりに生きる話ではない
ここ、誤解されやすいところです。
「意味がないなら、何もしなくていい」
という話ではありません。
「意味がないなら、死んでもいい」
なんて話でももちろんありません。
そうではなくて、
どうせ意味を証明できないなら、
少しでも楽しく生きた方がいいでしょう、
という話です。
くよくよしながら毎日を過ごすより、
何かやってみた方がいい。
会いたい人に会って、
行きたい場所に行って、
挑戦して、
失敗して、
それでもまた何かやってみる。
その方が、どう考えても面白いですよね。
「意味がない」は、むしろ心を軽くしてくれる
「人生に意味がない」という言葉だけ切り取ると、
かなり冷たく聞こえますよね。
でも、ぼくは逆だと思っています。
意味がないなら、
何かを大きく成し遂げないといけないわけでもない。
誰かに認められないといけないわけでもない。
完璧でないといけないわけでもない。
それでも、
今日をちゃんと生きて、
少し笑えて、
少しでも前に進めたら、
それで十分です。
調子が悪い日があっても、それでいい
ぼく自身、最近はちょっと調子が悪いなと感じることもあります。
こういうの、ありますよね。
(イケハヤさん、優しい…。)
季節の変わり目なのか、
自律神経なのか、
理由はよくわからないけれど、
なんとなく重たい。
そういう日もあります。
でも、ずっとそこに居続けなくてもいいんです。
無理やりでも口角を上げる。
ちょっとでも外に出る。
少しでも明るい方に、自分を動かしてみる。
そんな小さなことで、
意外と流れが変わったりします。
結局、意味より「どう生きるか」の方が大事です
人生に意味があるかどうか。
これは、考え始めると終わりません。
でも、
その答えが出なくても、
ぼくらは今日を生きていきます。
だったら、
意味を探して立ち止まり続けるより、
今日をどう過ごすかを考えた方がいい。
楽しめることをやる。
会いたい人に会う。
少しでも機嫌よく生きる。
その積み重ねで十分なのだと思います。
最後に
人生に絶対的な意味なんて、
ないのかもしれません。
でも、
それは絶望ではありません。
むしろ、
肩の力を抜いて生きていい、
という許可のようなものです。
どうせ生きるなら、
くよくよするより、
少しでも楽しく。
今日はそんなことを、
自分自身にも言い聞かせるつもりで話してみました。
ではまた。

アヒルの背中が可愛い
たしかに、昔の人みたいに生き延びるのに必死だったら、そもそも『人生に意味はあるのか』なんて考える暇もなかったのかもしれないですよね。
そう思うと、そんなことを考えられる今って、ある意味すごく平和なんだなとも感じます